現在(2017年)とは違い、人々の眼は海外に向いていた。旅行会社の広告も、友人や知人たち
の多くも行きたがるのは海外ばかりだった。
今よりもはるかにへそ曲がり度の高かった私は世の風潮に背を向けること頻りでもあり、眼を
もっと足元に向け、自分の生まれ育った日本という輪郭の曖昧な処こそを寛くよく識るべきと思
った。地方と都市を往還しあちこちを彷徨い歩いた。現代と古代との結節点を現実の空間と古典
や研究書や資料の中に求め、風土と地勢を観察し、それが生活と思想と社会と文物に与えてきた
影響を読みとろうとした。短絡的な自国崇拝に陥らぬよう、抽象度を上げ、また諸学問や文学の
奴隷となるのを避けるべく、当初は名所旧蹟を避けてその周辺部の領域に眼を向けていた。その
後は頑なさが取れてより屈託なく区別なく各地を渉猟し放浪するようになった。
いつしか、日本は美しいとされ、その一方でそう語る同じ者たちの手により開発や復興という
名の下で、海山川と人々の生きる形や死の姿が変えられていった。
それでもその中に残り、壊し得ないものや基層をなす物事、日々の営みや考え方を決める行事
やしきたり、仕事とわざなどを少しずつ見て歩いてきた。中にはもう姿を変え、失われてしまっ
たものもあるかもしれない。現象や時間が変化の中にあるのであれば、喪失を嘆くよりはかつて
あったもの、残すべきと考えるものを指し示す方が前向きなのではないか。
それらのことの小さなレポートの集積を今更ながらではあるが、少しずつ開示していこうと思
う。